クルマ、レース、社会の変化とともに

VOL.279 / 280

河野 高男 KOHNO Takao

有限会社アールエスファイン 代表

1962年生まれ。東京都武蔵野市出身。ディーラーメカニックを経てアールエスファインを創業。1980年代後半以降の日本レース界を裏から支えるメンテナンスガレージとして、40年近くの長きに渡り常に第一線で活躍してきた。

HUMAN TALK Vol.279(エンケイニュース2022年3月号に掲載)

1980年代から日本のレース界を裏に表に支えてきたアールエスファイン。
強いチームの影にこの人ありといわれた河野高男氏のレース人生に迫る。

クルマ、レース、社会の変化とともに---[その1]

 僕は2月生まれなので高校を卒業する前からすぐに免許を取りに行ってね、最初に乗った車は親が乗っていた2ドアハードトップのルーチェをお下がりでもらい、嬉々として乗ってました。高校卒業後は八王子にあるトヨタ学園というトヨタ系の自動車整備専門学校に通ってたんだけど、就職はマツダスピードの前身であるマツダオート東京だったなぁ。ルーチェの後に自分で初めて買った車は同じくマツダのサバンナRX-7(SA22C)でさ、ルーチェもロータリーエンジンだったから昔からロータリーに縁があったのかな。雨さん(RE雨宮の雨宮勇美氏)と知り合ったのも丁度その頃で、まだみんな若くて高速道路に夜な夜な集まってやんちゃしてた時代だよね。

’95年のGTで、雨さんと

ディーラーメカからのスタート

 マツダオート東京は周辺のマツダディーラーからも車が持ち込まれるような所で、普通新入りメカニックは車検整備なんかに回されるんだけど、僕は運良く入社1ヶ月くらいで「クレーム担当」に配属されたんですよ。他店の車も入庫されるから1ヶ月に14〜15台ペースでエンジンの修理をしてたな。仕事が終われば自分のRX-7をいじらせてもらってね、さすがにエンジンの積み下ろしまでは仕事場ではできないから、自宅のガレージにチェーンブロックをぶら下げて一人ガレージでエンジンを下ろしてましたよ。
 23歳の時にマツダを辞めてからは「こやた園芸」さんや「RS中春」さんなどのレースメカの手伝いを経て24歳で独立、25歳で現在のアールエスファインを立ち上げました。当初はレース車両1割、一般車のチューニング9割くらいのつもりで店を始めたんですけど、すぐにフレッシュマンレースをやりたいというお客さんが来て1年目にはJSS(ジャパン・スーパースポーツ・セダンレース)なども含めたレース車両だけで10台くらい面倒見るようになってました。今思えばびっくりするほど安い料金で引き受けていましたけど、お客さんも一緒になって夜な夜な車をいじりながら楽しくやってましたね(笑)。

JSS 土屋圭市さんと(本人左端)

レース界での人と評価

 当時RS中春さんがグループAのスカイラインをメンテナンスしていて、僕もその手伝いによく行ってたんですね。その頃RS中春さんが町田に引っ越すことがあって、そうしたら隣が坂東商会(現GTアソシエイション代表取締役社長の坂東正明さんが率いるレーシングチーム)さんだったんですね。そんなご縁もあってしばらくしたら坂東さんから「うちのレースも手伝え」ってお声掛けいただいて、それがお付き合いの始まりですね。
 ‘88年は坂東さんのところでグループAのレースに約1ヶ月間同行したりしていろんな勉強をさせていただきました。車はトラストカラーのAE92レビン、ドライバーは土屋圭市さんや河合博之さんでした。その頃から土屋圭市さんは最終コーナーをドリフトで駆け上がってくるようなアグレッシブな走りでね、知名度も上がってきた頃でして、おかげで僕らまでも知られるようになりましたね。
 ‘90年くらいから当時のN1耐久レースも手伝い始めて、プローバの清水和夫さんとのお付き合いもその頃からでしょうか。ギャザスカラーのプレリュードはうちで車一台丸ごと引き受けて、ドライバーは清水和夫さんと影山正美さんでした。プローバとは2000年代までS耐久やグループAで長い間お世話になりました。
 雨さんとは’95年くらいからGTで付き合いが始まって、2010年まで15年くらいずっと一緒にお仕事させていただいていました。GT300で初めてチャンピオンをとったのも2006年の雨さんのRX-7でしたからね。20代のやんちゃな若者だった頃からの付き合いって考えると感慨深いものがありますね。そして2011年からはグッドスマイルレーシングとStudieによる体制で初音ミクカラーのBMW Z4 GT3のメンテナンスを担当。それは2011年と2014年にチャンピオンをとってね、今はベンツに変わったけどチームは継続してメンテナンスさせていただいています。
 こうして振り返ってみると時代も良かったですよね。そして周りにいた人達に助けられた。出会いが出会いを呼んで新たなつながりができる、そしてそこからまた広がっていく、その繰り返しでここまでこれたのかなと。いい仕事をしていれば周りの評価は付いてくる、そしていい評価はまた新たな評価を生むきっかけになる。1980年代から車もレース界も大きく変わりましたし社会も変わりました。けれども仕事に対するスタンスやレース、勝負にかける思いなんてものは変わらないんじゃないですかね。

坂東さんのグループA時代

雨宮さんのGT時代

HUMAN TALK Vol.280(エンケイニュース2022年4月号に掲載)

クルマ、レース、 社会の変化と ともに---[その2]

 ウチは常時5名ほどの社員を基本にレースの時は外注メカさんも呼んで10数名の所帯になります。外注メカさんは基本的には長い付き合いの方が多いですね。個人でメカニックをやっている人、レースメカニックを専門でやっている人、ガレージを持ちながら自分でレースをやっている人もいます。若い人もいますけど正直増えておらず、なり手が少なくなってきています。外から見ればすごく華やかな世界に見えますが、僕らの世界って裏方なのでツラい部分も多いんです。そういう部分ではレースメカニックをやりたいと言って飛び込んではきたものの、なかなか続かないんですよね。
 ただレース業界全体としてここ10年ほどの間に労働環境はすごく変わってきています。昔はパイプ1本から車を作るなどいわゆる「作り物」が多かった。でも今のGT3なんかはすごく良く出来ていてメンテナンス効率もパーツ個々のライフもいいし、そもそも改造範囲が限定されていますから。時間を掛けていい車を作るという考えから、限られた時間の中でいかに効率良くいい車を作るかという考え方に変わってきているんですね。環境も時代も変わるように僕らも若手の育成を本気で考えないといけないなと思いますね。

片山右京氏と二人三脚でチームを支える

時と共に仕事も変わる

 ‘86年の末に会社を立ち上げてから’97年くらいまでは基本的にメカニックとして何から何まで自分でやっていました。2000年頃からはだんだんとエンジニア系の仕事が主になってきましたね。その頃からデータロガーがレースに登場し始めて、パソコンを使っての仕事が増えてきました。ここ15年くらいは滅多にメカニック的な仕事はしないし、工具を持つこともなくなりました。近年はチームを取り仕切る立場としてタイヤメーカーやパーツメーカーとの調整、仕事の段取りも含めてマネージメントする役割ですかね。チーム監督と役割を分担しながら全ての人間をコントロールしなければいけない。マネージャーとしてのメカニックコントロール、ドライバーコントロール、スポンサーとの折衝などやることは多いですね。肉体的というより精神的なことの方が大変ですね(笑)。でも一つ一つやりがいはあって、最終的にはやっぱり勝ち負けの世界なんで、どうやって勝ってやろうかってところに尽きるんですけど。

F3のドライバーは長男の河野駿佑氏

戦略が勝負を決める

 ハード面、ソフト面、そして戦略も昔に比べて大きな違いがあります。例えばレース中にタイヤは交換するかしないかとか、そういう意味での戦略ですよね。雨宮さんのRX-7の時は燃費が悪かったんでタイヤ交換しないという作戦を取ったりしました。ただそれはいいドライバーがいるからこそそういう戦略がとれるんです。そういうシミュレーションを事前に散々考える。そんな戦略も僕らはレースをやっている当初から色々とやって何レースも勝たせてもらいましたね。今では他のチームも普通にやってますけど、当時はまだ少なかったんですよ。
 今は戦略も細分化してきています。早めに入れる、後半まで引っ張るとかそのサーキットやタイヤの持ち具合とかを加味して色々と勉強しながらやっています。レース状況の変化によって臨機応変に変えられるように何パターンも戦略を考えておくんですが、’90年代くらいからコンピューターを使ったシミュレーションができるようになってきて、より適切に実際に近い想定ができるようになっています。ここ最近大きく変わってきたことですね。
 やっぱりモノも大事、人も大事、もちろんお金も経験値も大事、そして何よりも勝ちたいという気持ちですね。レースって何十人という人が同じ目標を持って頑張っていくことなので、一人だけが頑張っても成り立つモノじゃなくて誰か一人でも欠けるとダメ。個人の力も大事ですけれど、チーム全体のパフォーマンスとしてどうかということ。そのためには一人一人がきっちり自分の仕事をこなしていくということが基本になる。車を構成する要素、タイヤやホイールも含めていろんな人の技術が重なってできるのがレースという世界。僕だけの力じゃなくて全員の力と信頼を集めてはじめてクルマはレースで走るわけです。

小林可夢偉氏とデータロガーを元に作戦会議

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